「少女漫画やラブソングのことば」に関するうんぬん
『少女漫画やラブソングのことばは キラキラしててまぶしくて』
ここ最初アニメで見たとき、「いやワカんねえわ…少女漫画てこの世で最も苦しいジャンルじゃないですか?」て思っていました。
自分にはリアル姉がいます。漫画好きの姉でどんどん漫画や小説を買ってきてくれて、本棚が姉弟で共有みたいな感じでした。自分で本を買えるわけではなかったので、本棚にある本は真剣に読みました。
だから平均的な男子よりは少女漫画を読んでいます。でも、感覚としては「主人公(女の子)に共感できるわけでもないし、読者の僕が相手の男の子に魅力を感じるわけでもないし、言葉でやりとりして物事が解決するのは訳が分からないし、キツい事が起こるし、すれ違いはめんどいし、時にクラスメートとかから直接的な暴力をされるのに主人公は全然それに返さないからスカっとしないジャン」という、そういうイメージを持っていました。
特に暴力ていうのをやられたなら、こっちもそういうルールに移行してほしいやん?て本気で思ってましたし、今でもけっこうそう思います。だって、気持ちと言葉で何かするんであれば、暴力って相手を即黙らせることが出来るからです。体が戦闘態勢になったらうまく言葉が出てこなくなるし、そもそも会話をしている意味がなくなるじゃないか?という事ですね。これは自分が小さいときに暴力にめちゃめちゃ弱かった、という感覚からきているっぽいなと思います。
逆に、互いにルールを守る競技モノとかスポーツモノとかホビーモノはけっこう好きです。
敵も味方も、少なくとも「同じものに価値を感じている」という。
さて、分かった気になるって恐ろしいなと思います。
もし自分が全く少女漫画を読んでなかったら、侑のモノローグもすんなり自然に入ってきたと思うんですよね。「この子はそうなんだ」と。
自分で読んで自分でそう思っちゃったからこそ、その感想があたかも世界の真実みたく感じてしまって、こういうときに出るみたいな感じですね。
槙君は女きょうだいに囲まれて育って、女の子ともバリバリ話して恋の話を楽しんでる経験をしてるわけで、そこから「女の子はみんな恋の話が好き」て思っちゃった訳です。
それと逆バージョンの、同じく勘違いが自分に起こってたわけです。
「恋愛モノ、めんでぇし、つらい。」
これさらに大元の理由があって、おそらく小・中学校で「カラフル」とか「GO」を読んだ経験から来てると思うんですよね。
カラフルはめちゃくちゃつらい失恋をするし、
GOはバイオレンスが派手めですが、主人公曰く『恋愛に関する物語』で、これもまたキツいんですよね。
そういう名作が、「恋愛っちゃ相手ありきで、キラキラしたもんじゃないよ」って事を僕に刻み付けたんやなって思いますね。
あと、少女漫画もラブソングも「作品」で、それは基本的に「一方的に受け取るメディア」ですね。相手ありきではないです。
世界中にあふれていて、これが普通。という。自分もこれになるんや~~!というイメージを自分自身でも知らない間に育ててしまっているという。後からこれが侑にとってキツくなってきます。
これは侑だけの話ではなくて、いろんな作品で言われていることですね。
「ファイト・クラブ」では映画、コミック、広告、歌など。
「最強伝説黒沢」でも作品のテーマですね。テレビを見ている時に「これは俺自身の感動じゃない」と気づくという。
「GO」の主人公の杉原くんは、強くなるために本、筋トレ、落語のカセットテープをウォークマンで聞く、シャドーボクシング、イメージトレーニングなどの、全部ひとり使うアイテムを使っていましたね。
つまりもっとでっかくとれば、この侑のモノローグは、ぜんぜん違う生き方をしてきた僕にもあてはまる事です。
超でっかくとればですが。
なんかそういう事を考えました。
モノローグ一個で長く書きすぎでしょ。溜めこめすぎるとこういう事になるんだよなぁ…。