ゲーム「MADMAX」楽しいです!

steamでセールをやっていて安くなっていたのでMADMAX(マッドマックス)というゲームを買いました。めちゃくちゃ面白いし考察も少ししているので途中経過として書き溜めておこうと思います。

 

どういうゲームか?

もとは実写映画の「MADMAXシリーズ」の中の、「MADMAX2」の世界観をゲームにしたものです。

北斗の拳などの作品に多大な影響を及ぼした名作映画です。

ですから、このゲームの雰囲気も、北斗の拳の物語の舞台を想像してもらえれば100%準備完了です。破壊された文明、がれき、荒野、人々は水不足であえいでいる、そこにゴテゴテとげとげに改造した車でモヒカンどもが走りまわる!略奪しまくっている!襲いまくっている!廃材を使ってわりとでかい基地を作ってたむろしている!そういう世界です。

 

ゲームでは、いきなり美麗MAXのきったねえ荒野のムービーが始まります。主人公(筋肉イケオジ)のマックスが愛車を取られたり、精一杯の抵抗をして敵のボスを殺したりするのですが、結局愛車は取り返せず、というところからストーリー開始。オープンワールドです。

良い所、好きな所

  • 操作性がけっこう快適
  • 殴り合いが面白い。爽快感、バイオレンスアクション感がある。ただ削り合うだけでなく、パーフェクトパリー(ちょうどいいタイミングで防御することで有利になる)を狙ったりなど一つ上の楽しみ方がある。ただ、移動が駆け足しかないので、敵との間合いどりや位置取りがガバガバになりがち。それでも、真後ろから殴りかかられても右クリックひとつで攻撃してきてるやつの方をくるって振り向いてしっかりガードしてくれるから問題は無し。
  • 車のタイヤから巻き上げられる砂ぼこりなど、エフェクトが素晴らしい
  • 族から追いかけられてカーチェイスで逃げ切ったり、逆に追いついて敵の車に体当たり!!敵の車はコナゴナだぜ!!みたいなこともできる。
  • PCが低スペックでも十分プレイできる。はじめの設定だと重すぎるのだが、設定のエフェクトやカメラ効果の部分をひとつひとつオフにしていくことで、かなり快適にプレイできるようになった。
  • 基本的にオープンワールドに車でどこにでも移動できるから、道端に見えた賊どものキャンプとかを破壊したり、敵勢力モニュメントを破壊して楽しんだり、ちっちゃな地下ダンジョンに潜ってサブクエスト完了させたり、とにかく荒野を走り回ってるだけで楽しい。
  • 車もけっこうピーキーで、ハンドルがいう事を聞いてくれなくて道から外れるなんてしょっちゅう。岩肌に正面衝突してバゴン!車の破片が飛ぶ!でもOK、MAD MAXの世界の車は現実と違ってヤワじゃないので。
  • ストーリーは今やってるところが少しおつかいクエストみたいになってます。拠点内の設備を拡充しようという段階で、たくさんの資材が必要なのです。それで、やれダンジョンからそれ用の素材を取ってこいだの、やれ敵のモニュメント破壊してこいなど言われて時間を使わされるんですね。 でも大丈夫!これらはクリアするとすべて「主人公の強化」という形で返ってくるから!敵の車と正面衝突してもぶっ飛ばせるくらいの強いバンパー!敵が追いつけないほどのスピードを出せるエンジン!横体当たりでダメージを与えるトゲタイヤ! そういった強化は気持ちいい爽快感をもたらしてくれます。おつかいをやって良かった、次も頑張っちゃうぞとなるわけです。 

 操作

WSADで早歩き。Ctrlキーでちっちゃいジャンプ。シフトで緊急回避前方ローリング。

左クリックでパンチ。連打で連撃。右クリックでパリ―。以上!

 

移動が早歩きしかなくて歩きしかないから、ちょっと微妙な位置のアイテム取ろうとしたりとか

高い場所で落ちたくないなとか

罠が敷き詰めて合ってその隙間を通らなきゃいけないとか

 

そういう時は、ちょっとうーんってなりますね。

でも、マックスのモーションがしっかり地面を掴んで動き出す感覚があって説得力を感じるので良い感じです。

マックスについてどのような人間なのか考察

映画とは別キャラとして考えます。

分かっているのは車で荒野をさまよっていたこと、地元の賊どもの支配下ではなかったこと、タフガイであること、車の運転が滅茶苦茶うまいという事です。

そして、車を奪われた後は、自分の車を取り返すことに異常に執着する。

荒野の世界で車の価値が上がったとはいえ、自分の命の危険よりも車そのものを手放すわけにはいかないという、過去に根差した何かがあるようです。執念です。過去、平和な世界を生きていた時に、彼に何があったのでしょうか?どんな人だったのでしょうか?

 

マックスは車の運転の天才です。彼の感覚なら、車のこまやかな感覚を全身で感じ取れるでしょう。座っているシートから、踏むペダルから、掴むシフトノブから感覚を感じ取り、思うがままに車を動かすという才能があると思います。しかも、どんな車種でもです。これはもう、車に愛されるために生まれてきたような人間ですね。

生まれつき、それに向いている。何もしなくても自然にそれができる。当たり前に。

でも、おそらくレーサーにはならなかった。せいぜい長距離トラックの運転手で、長い時間妻と子供に顔を合わせず、ただ車の運転とその感覚に没頭する日々。

そんな生活が、世界大戦によって車の運転技術が声明を左右する世界になったのです。彼はこの世界のほうが良いと。そんな彼は狂っている。マッドマックス。

 

ちなみに、結婚して子供もいるのにどちらにもあまり興味を持てないというのはあると思います。彼のように車の天才という特殊な状況でなくてもです。

何か感覚的に「これは気持ちいいな」と思ったものはありませんか?プールで力を抜いて壁を蹴ってスーッとスタートするのが気持ちいい、ゴルフの打ちっぱが気持ちいい。パソコンでプログラムを組むのに夢中で食事を忘れるくらいだった。

何か少しうまくできること。その瞬間って家族の誰にも邪魔されたくありませんよね?人は誰しも、一人で没頭できる時間を持っていたいものです。それと同じように、マックスはまるで車両と会話ができるみたいに車を上手に運転する事ができたのです。

「妻や子よりも車に執着している」とはこういう事から来てるのかなと思います。

 

妻目線ではどうでしょうか?最近そういう事を考えられるようになりました。

」妻は時には仕事をやめ、結婚、妊娠、出産、子育てに莫大な時間と体力を投資しています。自分の趣味だって全くできません。その分の時間を子育てに投資して、捧げてやっと子供を育てています。これは妻の中で一大プロジェクトになっているのです。仕事の熱量以上の熱量と時間を注いでいます。生きる意味と言ってもいいかもしれません。

そんな妻が、夫マックスの「車が一番大事」という言葉を聞いたら何と思うでしょうか?裏切られたと思うかもしれませんね。子供はどうなるの、という事ですね。

 

そういうかんじでした。とにかくMADMAXおもしろいっす!よろしく!

青木真也さんと呂布カルマさんの対談と「日本は良くなりますか?」について

青木真也さんと呂布カルマさんが対談して、自分にとっての格闘技観、HIPHOP観について話し合いました。

それぞれ違う人生、ジャンルでも同じところがあったり、違いがあったりして通じるところも見れて面白かったですね。

youtu.be

最後にスタッフの方から「HIPHOPや格闘技の価値観が広まったら日本は良くなりますか?」という質問がありました。

僕は「良くなるか悪くなるかではなくて、もっと活発になるのかな」と思いました。

そもそも「良くなる」っていうのは「何を良いとするか」の定義によって変わってきて、

それは「自殺数は少ないほうがいい」などの、「良いとされる価値観」、「社会の共通認識」「同じ価値観」が必要だからです。

同じ価値観があって、そこに人々がちょっと近づくという事です。

それは僕の持っているHIPHOPの価値観のイメージとはちょっと違います。

 

まだ良いとか悪いとかの価値観がない世界です。いろんな人々がそれぞれ点在しています。

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端っこも、真ん中も、良いか悪いかは分かりません。判断がつきません。上が悪いのか?下が良いのか?それが示されていないからです。定義されていないって事ですね。

 

 

「自殺は悪いことで、そうならないようにしよう!という価値観」が社会に浸透するとこうなります。

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良いことと悪い事が定義されて、良い事に近い人は良い状態、悪い事に近い人は悪い状態だと分かりましたし、自殺が悪い事がみんなに浸透して、みんなが自殺から遠ざかって、良い状態になりましたね。

 


僕がHIPHOPに感じていることとしては、「自分がどう生きたいか」とか、「自分が一番上に置く価値観」を決められるんだな という感覚で、

HIPHOPの価値観が広まったら「「自殺は悪である」という価値観すらも、「自分にとっては違う」」となる人がたくさん生まれる可能性があるという事です。

 

HIPHOP的な考え方が広まると、みんなが一つの価値観に向かう事は無いのではないでしょうか。だっておんなじ体や経験や状況の人は一人もいないので。似ている人はいますが。

 

こういう感じになると思います。社会全体に通じる一つの「良い」価値観はありません。

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それぞれがそれぞれの「良い」を持っていて、自分の良いにしたがって色んな方向に動きます。

それぞれ好きに動けるので、関係ない人とは関わらなくていいし、自分の生きたいように生きられるので活発に生きられると思います。

ただし衝突も起きると思います。軟弱な僕だと生きてけないかもしれないですね。

他者と衝突したときは意見を交わしたりして、考え方が変わったり、変わらなかったり、「まあオマエはオマエなんだね」ってなったりすると思います。もっと元気で、ディベート的で、弱肉強食的でもあります。自立って感じですね。

 

僕が格闘技を見たりラップを聞いたりするのは、こういう強さとか個とか我を手に入れたい、自分の中に取り入れたい、という気持ちが確実にありますね。そういう感じの話でした。

羽衣ミシンを読みます

実家の本棚にあったので、小玉ユキ先生の「羽衣ミシン」を読みます。姉が買ってきたものです。

この漫画は以前読んだことがあったのですが、なんとなくそのままにしてしまっていたので、ちゃんとした感想を書きたいと思って。

理由は、「やがて君になる」をリアルタイムで見させてもらっていた時の最終回、ちゃんとした感想を出せなかったのがコンプレックスになっているため、という事が一つです。その時の自分はやがて君になるを読んで莫大な何かを感じつつ(今もそうですね)もどう感想を書いていいかわからずに、それでも「何か書かなければ…」という気持ちだけは膨らみまくっていました。最終的に早く何かを書いて楽になりたいという気持ちが勝って、それでマジでクソクソのクソみたいな「ウェッヘーイww」みたいことを書いて画像で上げて、それで一瞬楽になる、という道を選んでしまいました。クソですね。だから感想の書き方を上手くなりたい、言語化を上手くなりたいって感じです。

 

もう一つ、自分は姉のおかげでいろんな本を読んだのですが、その時に感じたモヤモヤを形にしないまま過ごしてきたせいで恋愛ものとか綺麗な絵柄に苦手意識を持ってしまっていて、それは良くないな、解消したいな、みたいな感情があるためです。なので新しい本ではなくて既に本棚にある、一度読んだけれどもそのままにしちゃってるものを読み返しています。

 

ただこの考え方は裏返すと全てのものを感想にして全部好きにならなきゃいけないみたいな感じになって泥沼になるので、それはやめようかなって思います。ちゃんとそれなりに、切り分けたいなって感じです。

 

この単行本、帯がきれいなままで残っているんですけど、吉田秋生(よしだあきみ)先生って「BANANA FISH」の作者なんですね。秋生であきみって読むのも、Wikipediaで知りました。(無知発言)

は?出身校、武蔵野美術大学? クソッッッ!!漫画家美大出てんじゃねーぞ!!!(発作)

自分は絵を習わなかった事を後悔しているので、こういう所ですぐに発作が出てしまいますね。(今は習っています。)

 

裏面の作品紹介、読みづらいな。ふつう四行だと右端にまでいって折り返すんだけどこれは真ん中で分かれてる。

1ーー>2  5ーー>6

3ーー>4  7ーー>8

になってる。あと文字が薄いのに背景透過して重ねるから読みづらい。背景の人物の足の塗りは普通に不透明度高いから。

 

こういう事を書くと普通に嫌な感じだと思うんですけど、これは僕のブログで、検索した人が見に来て読みたくて読むものであるということと、内容が嫌いとか人格否定ではないし、理由も書いてあるため大丈夫ではないか?という気持ちがあります。見逃してもらえるんじゃないか?って感じです。

 

そして今も突き進んでいる人にとっては、過去作のここが読みづらかったという記述にはダメージはあまりないであろう、だから先生にとってはそんなにダメージは無いだろう、という考えがあります。大丈夫ですか?大丈夫ですよね。そしたら読みます。

デトロイト・メタル・シティのやつ

年末、漫画の理不尽な点を強引に解釈するスレでデトロイトメタルシティのレスがあったので、長文怪文書を書きました。

本当はごちゃんに書いた事を「俺のレスだよ〜」というのはあんまりよろしくないのですが、めちゃくちゃ集中していて頭の中の事がドババって出てきて、これどっかで使いたいなって思ったので取っておきます。(ごちゃんへの書き込みよりもこっちのブログの方が時間が早いはずです。)

 

なぜ代打クラウザーさんで信者は騙されたのか、そもそもあのクオリティでは社長が許す訳ない、というレスに対して

 

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デトロイト・メタル・シティに出てくる信者たちは頭の悪いファンですが、作品の一番のポイントとして「クラウザーさんにありもしない幻想を見ている」ためです。

誰しも、自分が惚れ込んだもの、好きになったもののイメージが壊れて欲しくないものです。好きになったものはずっと好きでいたいのです。
信者らはDMCに依存しており、そして依存はさらに強く目を閉じさせます。現実すらも見ないようにしてしまうほどに。そしてその目が開いてしまいそうになるほどに強くまぶたをおろす行為、それが強引な解釈なのです。

我々は何かしら好きな漫画があります。でも、その漫画には理不尽な点がありました。だから強引な解釈をして、理不尽なものでなくしたいのです。
本当の事からは目をつぶって、幻想を見ていたいのです。
彼らもクラウザーさんの文字通りの信者としてかなりのおかしさを感じつつも、心地良い幻想を壊さないようにしているのです。

根岸くんの気持ちとは逆に、クラウザーとしての人格と信者たちの力によって、DMCはどんどん高く広い世界へ押し上げられていきます。
信者たちはその度に揺れ動きます。その大きなズレを目の当たりにした時の信者たちの強引な解釈こそが、この作品の見どころです。

 

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勝手に『この作品の見どころです。』とかまで付け加えている所が最高に気持ち悪いですね。

シリーズ「ぼっち死の館」感想

最初ちらっと見たときは、色遣いが薄いし、線もふにゃふにゃで読みづらい、認識しづらいと思った。でもその描き方が、この先生の心の状態、というかこの主人公の老人の心境に合ってるのかなと思った。

なんと言うか、、、老いて目が悪くなったり知覚する感覚が弱まってくると、もしかしたらこういう画風で物事を見ているかもしれない、それを疑似的に絵柄にしているみたいな。例えば、高齢者体験として視界が歪む特殊なゴーグルを付けて老人の視界を疑似体験するやつがあるじゃないですか。そういう感じで、老人が主人公の漫画にはこういう画風が合うのかなって思いました。さすがにジャンプみたいな画風だとちぐはぐになるよね?そういう感じです。わからんけど。

とにかく絵柄とこの話が合ってると思いました。

 

亡くなったこの人の妻が「まだ俺の頭の中で生きていて時々何か言う」っていうの好き。好きというか、本当にそう思う出来事があったから。

「これは俺の中の記憶や考えがあいつの声で出てくるんだな。」ほんとそう。これ俺の思ってたことを文章にしてあるんですか?てくらい。

そしてこのモノローグを見て「どういう話」か分かって一気に面白くなった。

汚い換気扇を見て「くぇ!」っていうの、父も言ってたしリアルな感嘆詞だなと思う

 

自分がそうだから気づくんですけど、この主人公の人、全く他者と会話していないんですよね。だんだんと、世界と隔絶していってしまっている。

 

それはこの人の中で「こう生きたい」という価値観に従って最善を尽くして生きてると思うんですけど、それってだんだん苦しくなってくるというか、他者と関わらないと0か100みたいになってきてしまって、けっこうきついんですね。

これは僕はきつかったですという話ですね。

 

理由として、自分の設定した最善ていうのが、揺らがないからではないかと思いますね。

それはとても良い側面があるんですけれど、他者と関わって話すと、そういうものが壊れたりする可能性もある反面、その価値を認めてもらえたり、自分が意固地になってしまってることが大したことないんだなと思えて楽になったり、新しい考え方が入ってきて「今のままでいいんだ」て思えたりするんですね。

そういう事で、一気に楽になったりするんですよ。

やっぱ相対的なものなので。

逆に一人で考え続ける環境でいる事で固まっていって突き進めるというのもあるんですけれどもね。そういう状況にいる人は、そういう良い側面を使っていってください。(何目線?)

バス停で待っていた時の(なんだ!ちゃんと、後につこうとしてるだろうが!)て思っちゃうの、本当にそうなんだよね。最善をしているんだけれども、他者と関わるときは厳しめみたいな。だってそれは自分が考えている最善で、他者はそれを知らないから(知りようがないから。)

逆に、他者とこまごまと関わることを知っているおばさんたちは、ガンガン話しかけてくることが出来る。0か100じゃなくて、他者と話していると会話の流れの中で100点を出し続ける事なんてできっこなくて、40点とか70点の言葉とかがバンバン出てくる。(たまに120点が出てきたりするのが面白い。)

 

律気(りちぎ)は、「義理堅い事、実直な事」。(ググると律儀ばかり出てきた。これも狙いなのだろうか?)

 

だからこの「ずい分律気な方ですねぇ。」というのも、100真剣に言った言葉ではなくて、この主人公の「バカも文脈によって意味が変わるだろ」という台詞も併せ考えると、

 

ずい分、

「応用がききませんねえ」

 

とか、そういうニュアンスのほうが近い。

みんなホホ、とかアハハとかにこやかにしていて、なんとなく「輪にどうやって入ったらいいのか分からない男の子」を見る女の子たちみたいだ。 もしかしたら冷笑している人や、いじわるな笑みを浮かべている人もいるかもしれない。(可能性としては。)

 

でも違う。主人公には「ずい分律気な方ですねぇ。」は、「通じた!!!」と思ってしまう。それは、これまでの経験からだ。

これまでの経験(割り込みを注意されて嫌だった思い出、価値観が通じない)がマイナスの気持ちを生むこともある。

律気という価値観それは彼にとって価値のある言葉。こうありたいというもの。妻そのものに近い言葉。それは、かなり通じてほしいはずだ。無意識に作品のタイトルにして、一本の長編を書きあげてしまうくらいには。

だから、編集に通じないと言われてへこんでたところに、おばさん方から言われた言葉を褒め言葉に捉えてしまったんですね。通じた。

そしてそれは、亡くなった妻だったらそういうであろうという事から「自分の頭で」たどり着いたものなんですね。

妻は他者で、その妻の残してくれたもののおかげで、他者と関わるという事にたどり着けたんですね。

ここで初めて他者に気持ちを伝えられます。電車で並んでると思うんですけどと注意されても「すみません」が出なかった人が、ここで「ありがとう。」て言えるようになっているんですね。

本人には自覚がないでしょうが、もうすでに、バスの中で「ご近所の人とも仲良くしていきたいな」という気持ちに変化してきていると思うんですよね。

その時点で、もうすでに「心配はされないだろう」と思いはじめている。

だから妻のセリフが語尾で途中で消えたんですね。

「私は上から目線をやめてご近所とも仲良くし  たいと思っている。」

 

それから、明るくなって若返ってすら見える主人公は、少しぎこちないながらもご近所さんに話しかけられるようになっています。

少なくとも会話を拒否されるのではないかとかの段階は克服できたわけです。これ嬉しいね。読んでる僕は嬉しいよ。他者と関わるときにあんなに口をとがらせていたこの人が、こんなになるなんて。

そして上から目線や「どうせ通じない」という偏見を持たなくなって済んだので、会話の中から楽しいワードを見つける事すらも出来るようになっています!これは進歩です!

主人公が歩いて行ったあと、ご近所さんたちはどうしたDJJ!なんて言って、おばさん達には少し困惑が広がっています。

もう少し深く事情を話す事が出来たら、こういう小さな困惑は、今後減っていくかもしれませんね。

てか、この主人公のおじいさんがこれから将来うまくやっていけるかどうか、まで心配しちゃってますね。このおじいさんには悲しい事や楽しい事が起こるでしょうけれども、必ず幸せになってほしいって思っちゃうくらいには、この話が好きになっていますね。書く事で想像しますからね。

 

妻にちゃんという事が出来ればよかった、からの、一期一会というか、合う人とのコミュニケーションに良い言葉を使っていけたらいいですね。まあこれは僕に言っていますね。自分で再認識しました。他者とどう関わっていきたいのかという。

僕ももっと、「ありがとう」とか「すみません」とか、ほかもっとこまごまと言葉を使ってコミュニケーションしていきたいと思っています。

 

そう思うようになったきっかけは「やがて君になる」ですね。そこから来ています。

なかなか記事公開できないので話芸が欲しい。記事非公開機能も欲しい。

下書きばかり溜まっている。感想はめっちゃ書いてる。日記もめちゃくちゃ書いてる。でも公開できない。形になってないと思うからだ。

なぜ形になっていないと思うのか、その基準は?自分の中で公開するのにGOが出せないのか。それは自分の中で面白い形にまで成形出来ていないからだと思う。

これ書いてて今思ったんだけど、それってけっこういいところまで行ってて、自分の中で面白くないけれども感想は書けているっていうのは、それはかなり自分の事を正確に書き出せていて、でもそれは正確すぎて当たり前だから、自分の中でつまらないんじゃないか?って思う。

自分の心をとらえた正確な感想は確かに出ているんだけれども、でもそれをそのまま文章にしても、自分の思ってる事って自分にとってはあまりにも当たり前だから、

自分にとっては当たり前すぎておもんないという。自分に自分語りをしてもおもんない、当たり前の状態みたいな。そう、基本的に自分語りはおもんない。

 

ではどうするか?世の中には自分語りを面白くできる人たちがいる。話芸を持っている人たちだ。自分が知っているのは、ラッパーのR-指定さんだ。この「話芸」という発想も、R-指定さんから来ている。

ラッパーといえばワルいイメージが強いだろう。悪いことを知っている、何か特殊な技能を知っている、他とは違うところで生まれ育ちました。それは強烈に忌避されるかもしれませんが、興味を持っている人からしたらとても面白くなりますね。でも、R-指定さんにはそういうエピソードがない。

R-指定さんはガチで自分の経歴をそのまま話しただけでは「おもんない」人だ。おもろくなりようがない人、の方が正確だろう。話のタネになるもんがないからだ。犯罪をしたことがない。ワルい事をしたことがない。スケボーに乗れない。運転免許を持っていないので首都高を飛ばす快感は知らない。大麻はやらない。クスリもやらない。お酒も飲めない。ケンカした事がない。お金もない。知識もない。語ることがない。

自分の中にあるルサンチマン(嫉妬)や、モテないことへの卑下や、ヒップホップが好きになったエピソード。そういうものはある。でも、それって普通の人にもある「当たり前すぎておもんない」ことだよね…?

R-指定さんの何が面白いのかというと、というか、R-指定さんを面白くしている理由は何かと言うと、それらの「普通の事」を面白おかしく話せる「話芸」が大事なのだという。

本人もラジオやインタビューで、芸人や落語やラジオを聞いて参考にすることで言葉や話し方を覚えたり、ものの見方を知ったりしたと語っている。

僕も話芸が欲しい。自分の事を語るだけで面白くなるそういうものが欲しい。強欲ですね。自分の事を聞いてほしいという。大量の人に聞いてほしくて、あまつさえ読んだ人にクスリと来て欲しいという。そんなん普通してくれないだろ他人は。そんなの友達だけだろ、という。

そういう事で、エッセイを借りました。恩田陸先生の「小説以外」です。

でもさ、自分の好みに合わないかもしれない。もっと自分がビビビときたやつを読んだほうがいいかもしれない。まだ自分を甘やかしたほうがいいかもしれない。わかんない。普通に違うなと思ったところが出てくるだろうし。それ公開したいけど公開したくないやん(?)

はてなブログ、下書きではなくて非公開が欲しいんだよな。話芸も欲しいし非公開機能も欲しい。

佐伯沙弥香について 劇感想

実は自分はささつ、ちゃんと読んでいません。すみません!劇を見て、沙弥香に親しみが湧いて良かったです。

普通に小説自体が読むことにえらい労力がかかってしまうようになっていてやばい事とか、綺麗なのが苦手なこととか、そういうのが重なってですね。めちゃ読みたいんだけど自分の中でハードルだけ上げてしまってるみたいな。

アニメや劇は小説と違って進んでくれるのでいいですね。(老人みたいなこと言ってますね)

 

以下のは二回目に見たときにキーボード打ったやつをあとからちょいちょい補足したものです。


セットのカーテン、病院みたいだなと思った いや保健室の仕切りか? 語りの人が病人の服みたいだから余計にそう見える


自分が出来る人間だと…→普通に傲慢だと思う


自分は不器用かつスキルにあこがれているから「クソ…!」って思ってしまう
でも今は逆にどうでもいい事ならいろいろ予定入れて学習できるから不思議なもんだな
調べる→知識、っていう流れすき、めっちゃ気持ちいい、これすき
勉強によって先んじる ンオーー なるほど 知識!予習!転ばぬ先の杖!ダメージの回避!って感じか!
訓練とか鍛錬とか刷り込みとか言い換えたら自分にとってもわかりやすい
純粋小5やばい
空気を私に与えようとしていた→空気!雰囲気!
傷!ヒビ! 水中でヒビが入ったら水が入ってきそう
ヒビを傷ととらえたんだな
傷は乗り越えるものらしい(ホーリーランド
佐伯沙弥香オープニングでもほとんど動かないんだな キャラ特性!
柚木って純粋だよな 沙弥香、「純粋」に弱いのかもな

テーローリ テーローリ のハンバーガー屋って一瞬でわかる音すこ
ハンバーガー屋にうろたえる柚木かわいいし面白い
あーー たあいのない隙間を埋めるような会話 まあ普段、普通はこれしかしてませんね人間は
反対の事、隙間を埋めるというより、より相手との違いを知るみたいな会話をしてますね本編では
ヒビっていうのはなんというか 予想どうり、知識どうりの事しか起こらなかった
沙弥香の世界に起こったただ一つの不合理みたいなものなのか
感情(恋心)はコントロールできないからそれを何かわからず傷と表現したのかも それがだんだん大きくなってきて
傷、ヒビに空気とか水とかが少しずつ入ってきて、それが植物の成長を促して光を求めてコンクリを突き破って出てきた感じか

自分「人は○○」ていう言葉に弱い 「人は理由のない恐怖に弱い」とか 「あーそうなんだ」て納得してしまう
猫何考えてるかわからないから苦手、自分に似てるからか? 自分を律して積み上げて作ってきた人間なので何かわからないのは苦手なの当然か
カラオケ子の発表かわいい 自分は名前がない場合適当な名前を付けてしまう わかる
あー柚木成績はいい子なのか なんかめっちゃイメージ固まった リアルに感じた
柚木の好きは憧れみたいな感じか いままでの言葉からすると
沙弥香女の子から好かれるよな 好感度としても絶対高いよな
告白された沙弥香、はえー沙弥香真摯だな ていうかわからない事をわからないと言えるって凄いわ
昼休みと放課後だけ付き合う関係ってごっこ遊びみたいでほほえまC
中学生の恋愛って感じ! 狭いけどそれしかない感じ だってそれ以外知りようがないし

なにこの宣誓!みたいな手✋は
「沙弥香ちゃんならなんて答える?」は草
佐伯家の電話は豪華そう アンティーク黒電話みたいな いや普通か
自分にもミーハー的なところがある 柚木みたいに 小糸侑も
(お嬢様=知ってるようで知らない、知ってみたい、日常にあるファンタジー
ファンタジーって言葉「ああいう事こういう事」から導かれたのかもしれん
あんな事いいな出来たらいいなあんな夢こんな夢いっぱいあるけど ってやつよ

「本当にあれなんだけど」すき
光の泉を覗くように・・・てすげえ詩的だな
自分は柚木の恋を「初期衝動」て言い換えると腑に落ちやすいかな
自分にも通じるので腑に落ちる
何かやってみたいって思った時に、うかれちゃってはしゃいじゃって人を誘って、
「ウォイおれらもあれやってみようや」「ワー今テレビの人と同じような事やっちゃってるわー!キャッキャッ」
「あれ真似してみようや」「これ知ってる?マジかっこいい」みたいな

沙弥香がキスで感じた事、キスやってみた瞬間、今までの常識を超えたものでも
やったときに「自分にはこれなんやなあ…」て感じられるもの いいね
「対処法は先輩の顔を見る事だけだ」「対処法」てワードのチョイスが沙弥香っぽい
ポケットそこについてるんか!前気味についてるんか
もっと横についてるのかと思った ポケットの袋、前腿あたりにあるのか

見ないようにする、うやむやにする ありますね~~
電話の内容マジつらいわこれつらい
何かに似てるわこの状況 何か作品名を思い出そうとしてるけど思い出せないわ
何か別の作品からパワーを得ようとしてる
作品名を思い出せればそれを見て答えのヒントを得られるんやけど
走馬燈みたいな感じ

目の端に光が~~ 怒りじゃないっすかそれ?
入学式 ア~~~~~佐伯沙弥香の心 死んでたんやな これは~~~
七海燈子カリスマ(人を惹きつける魅力)がありますね~~~~~~~~
「人を好きになる(信頼する)なんてやめてしまおう」ってのは重いですね…
だから陽と付き合ってるのいいと思う また人に信頼を向けることが出来るんやなって
「生徒会の活動に興味ない?」通天教主かな?
感情が七海燈子一色に染まる すごい表現や
知られると困る仕事…→893
知られると困る→秘密 家族の誰かが頑張ってる→ほえ
久瀬先輩wwww この心労理論すこ、おれも友達によく言ってるヨ
こんにゃく残すのあるあるすぎるだろ
七海燈子来た時バンッって音までして光さすのすげえ
完璧を求めるのは怖いからな なるほどね~~~!!
沙弥香察しがいいな
え 芹澤大垣!! 二人で覗くというのは親密になるよね
燈子の「ほうほう」 かわいい
自分に自信がない人は好かれると見る目無いって思うらしい 学習したよ…
感情を連続でボンボン言うの、これすこ(ラップを聞いたからな…)
「電車通学が面倒だったのよ…(遠い目)」
猫Is恋心と言うか心の不確定要素
「動かないでいたら」、書類の「整理」だけで終わっちゃいそう  「気持ちの整理(柚)」
確かに4ヶ月では厳しい でも時間がたたないと沙弥香に相談できないからな
普通に鋭いな久瀬先輩 そして逃げる(笑) 
これ俺の心のけっこうな部分を占めちゃってる悪い人格で、
これって忙しくなくなったり責任を取らなくてもいいという事で「死なない」ことには役立つんだけど、
「生きる」って事とは少し離れるかな、と思う
特に何か創作とか、なんの後ろ盾もない行為じゃないですか?だからそういう時に邪魔になってしまう、
でもみんな湧いてきやすい、そういう感情じゃないですか?感情て言うか、感情的じゃない、
「自分には無理なんじゃないか、だって〇〇だから」というやつですね
振り切らなきゃいけないところ、自分自身みたいな
そういうところを重ねてしまいますね まあストーリー上ね!

そら続いてほしいよな~
「似ているワードチョイス」がほんと凄い 重要な場面で似ているワードを繰り返す
文芸部の人声枯れてんな!!
オオ~~ 先生かつ市ヶ谷さん 同級生 彼は抹殺されないのか?大丈夫?
「この際だから言っておくけど、顔。」草
恋愛対象でなくなったからこそ本当のことがいえるていうの、考えてみたら面白いよな。
好きな相手で、嫌われたくないからこそ人間は「作る」みたいな まあその作った部分も嘘でなければおK
この顔、作り物の見せかけだったら?→隣人13号ォ…
猫持つしぐさすげえ~~ 重くて流体っぽそう!
努力してるのが好き!!オオ~~
「接して色んな事を知っていけば好きになっていくかもしれない」→真理ですね…恋愛じゃなくてもっと主語を「世界」に広げたときになんかそんな感じ GOを見てるからよ…
「演じられるのは自分だけ」この感覚を佐伯沙弥香はもう掴んでんのか!はえ~~~
近くて感情のない人じゃなくて自分ならもっとどうでもいい人に相談しますね
この沙弥香の視点から見ると侑がずるく見えるよなやっぱ
侑の声マジ通るな!!
「告白」に反応する小糸
しぐさがすげえ初々しいな!
何か欠けていたか?とか怠ったか?とか そういう思考なんだよな~~沙弥香は
槙君は会話で自分を出すんじゃなくて対象の気持ちを出そうとするんだよな 主役は相手
「周りに分からないものが増えていく」 ホワ~~
いいよねこの沙弥香の小糸の描写これほんと 自分の見方に近いというか
自分のなかのものと打ち合わせたらこういう言い方になるというか
自分が見てきたのが不気味なものばっかだったからこういう不気味な「表現」がなじんでる
日常に潜んでる何かやばいやつ、みたいなのが好き いや本編のようなきれいな表現もすき
それそのものは変わらなくても、「どういう角度からどういう光を当てるか」で変わるから、自分が不気味だと思ったらそれでおk 自分はガチで考えたときに使えるライトがこれだから ドブ色みたいな光よ
「けどやっぱり綺麗」、いい言葉だな 汚いところを知ってもなおという、初期衝動を超えたもの
染みるわ 好きになれるものというか
やっぱ、沙弥香は答えを間違えたんじゃなくて 沙弥香の答えが出たんやなって
複雑な感情がわいてしまいますね~~告白のシーンは
このやりとり、魂のやり取りみたいな感じだと思う
四月、発表の日、ア”---------て感想しか出ない
「自分に交わろうとする他人」て言葉めっちゃすき
「一瞬だけでも交差できたんだと思いたい」そうっすよ…(´;ω;`)
まあ付き合ってても交差の連続でしかないから…(泣)
「もう沙弥香でいいよ」自分も連載読んでる時思ったな 「えっこれ沙弥香でしょ 沙弥香じゃないの??」て思ったよな
好きになれるかどうかって思ったけど問題なかったです草

付き合ってる状態がすべてではなくて魂のやりとりができるかどうかじゃね?という考え方は森絵都先生の「カラフル」から来てると思う 今はすごい悲しいけど
「みんな言い残したことない?言ったねみんな?」お母さんかな?
侑役の人おじぎ深っっか!! 忘れてていつも恐怖してしまう(自分の予想を超えた動きなので)
感覚的には思いがけず人の首がめっちゃ回転して後ろ向いたみたいな そういう恐怖よ

脚の後ろ側の筋がめっちゃ柔らかいのだろうか?長座体前屈得意そう