なかなか記事公開できないので話芸が欲しい。記事非公開機能も欲しい。

下書きばかり溜まっている。感想はめっちゃ書いてる。日記もめちゃくちゃ書いてる。でも公開できない。形になってないと思うからだ。

なぜ形になっていないと思うのか、その基準は?自分の中で公開するのにGOが出せないのか。それは自分の中で面白い形にまで成形出来ていないからだと思う。

これ書いてて今思ったんだけど、それってけっこういいところまで行ってて、自分の中で面白くないけれども感想は書けているっていうのは、それはかなり自分の事を正確に書き出せていて、でもそれは正確すぎて当たり前だから、自分の中でつまらないんじゃないか?って思う。

自分の心をとらえた正確な感想は確かに出ているんだけれども、でもそれをそのまま文章にしても、自分の思ってる事って自分にとってはあまりにも当たり前だから、

自分にとっては当たり前すぎておもんないという。自分に自分語りをしてもおもんない、当たり前の状態みたいな。そう、基本的に自分語りはおもんない。

 

ではどうするか?世の中には自分語りを面白くできる人たちがいる。話芸を持っている人たちだ。自分が知っているのは、ラッパーのR-指定さんだ。この「話芸」という発想も、R-指定さんから来ている。

ラッパーといえばワルいイメージが強いだろう。悪いことを知っている、何か特殊な技能を知っている、他とは違うところで生まれ育ちました。それは強烈に忌避されるかもしれませんが、興味を持っている人からしたらとても面白くなりますね。でも、R-指定さんにはそういうエピソードがない。

R-指定さんはガチで自分の経歴をそのまま話しただけでは「おもんない」人だ。おもろくなりようがない人、の方が正確だろう。話のタネになるもんがないからだ。犯罪をしたことがない。ワルい事をしたことがない。スケボーに乗れない。運転免許を持っていないので首都高を飛ばす快感は知らない。大麻はやらない。クスリもやらない。お酒も飲めない。ケンカした事がない。お金もない。知識もない。語ることがない。

自分の中にあるルサンチマン(嫉妬)や、モテないことへの卑下や、ヒップホップが好きになったエピソード。そういうものはある。でも、それって普通の人にもある「当たり前すぎておもんない」ことだよね…?

R-指定さんの何が面白いのかというと、というか、R-指定さんを面白くしている理由は何かと言うと、それらの「普通の事」を面白おかしく話せる「話芸」が大事なのだという。

本人もラジオやインタビューで、芸人や落語やラジオを聞いて参考にすることで言葉や話し方を覚えたり、ものの見方を知ったりしたと語っている。

僕も話芸が欲しい。自分の事を語るだけで面白くなるそういうものが欲しい。強欲ですね。自分の事を聞いてほしいという。大量の人に聞いてほしくて、あまつさえ読んだ人にクスリと来て欲しいという。そんなん普通してくれないだろ他人は。そんなの友達だけだろ、という。

そういう事で、エッセイを借りました。恩田陸先生の「小説以外」です。

でもさ、自分の好みに合わないかもしれない。もっと自分がビビビときたやつを読んだほうがいいかもしれない。まだ自分を甘やかしたほうがいいかもしれない。わかんない。普通に違うなと思ったところが出てくるだろうし。それ公開したいけど公開したくないやん(?)

はてなブログ、下書きではなくて非公開が欲しいんだよな。話芸も欲しいし非公開機能も欲しい。