黒歴史はどうやったら消えるのか、いや消えないのでどうするかという話
自分は一年くらい前からツイッターのインプレッションをめちゃくちゃ確認するようになりました。そのツイートがどのくらいの人の目に入ったかという数です。
僕は小さい頃から変な事をしてウケを取りたいという欲求があったと思います。欲求というか、学んだというか。何かテレビに対して突っ込んだり、変な事を言って笑わせたりです。そして、ツイッターでもそれをやってきました。
ここ1週間ほどでこのブログのアクセス数が全く増えずに0のままだったので、「まあそんなもんか」と気楽に書いて、特に推敲もせずに公開ボタンを押していた訳です。
でも、公開ボタンと、ネットに公開するかどうかは違うみたいでした。さっき非公開設定になっている事に気づいて、公開設定に変えました。本当の意味で、新しい黒歴史が始まった訳です。
黒歴史とは、恥ずかしい過去の事です。
そして、自分の奥深くの「気持ち」はらよりどころとなる理屈が弱くなる。自分がこれこれこうで、こう思ったから、というのがよりどころとなります。
自分の恥ずかしい気持ちや、奥深くの気持ちを言葉にするというのは、恥ずかしいこともたくさん含まれます。だから黒歴史がたくさん放流される事になりました。
黒歴史というのは消すことが出来ません。僕はそれを知っています。だから、扱えるようになりたいと思いました。
最初の投稿の内容と似てる感じです。言葉で言い切って表すことで心に整理がつくし、対処法と結びつく。黒歴史を思い出すときも、嫌な感情そのものを思い出すのではなくて、「この時は寂しかったな」「この時ははしゃいでたな」そういうふうに思い出せるようになります。
そういう事が出来れば、黒歴史も(黒歴史という言葉も言葉にできない恥ずかしさに名前を与えて扱う事に成功している)、事細かに書いて感情に整理をつければ、後から見て恥ずかしくなっても、思い出として扱う事が出来るのでは、と思います。
そしてもう一つ、どんどん新しいことをやっていけば、黒歴史を薄めていけるのではという思いもあります。(そうか?)
何か決定的にやらかしてしまった時が怖いのですが…。気をつけてはいますが、例えばやらかしてしまった時でも、ブログをしっかり読んでもらえれば、「そこからの流れで今はこういった記事を描いている」ってことを見てもらえれば、まあ何となく許してくださるのではないかと思います。
「ソース見ろ」って事ですね。