「逃げるな」って言葉に弱いという話

「逃げるな」という言葉に弱いです。たぶん他の人よりも圧倒的に弱いです。

逃げるなという言葉を見ると、いいじゃないか、それで俺は生きてきたんだから、死にそうな人間が生きられるならそれもよくないですか?自分はそれで生きていくからさ!ほっといてくださいよ!この話これでおしまい!ア"〜〜!バイバイさよならっっ!!でもムキになって考えてしまう、そういう言葉です。

そして「逃げるな」「それは逃げだ」と言われるとだいたい「殺すぞ」という言葉が浮かんでしまいます。イキりとか、実際にそうしたいとかではなくて、浮かんできます。たぶん人生で何度も思ってきたせいで反射的にそう思ってしまうというクセです。疲れたときによく言う口癖とかで、染み付いてしまっている口癖とかありませんか?そういうのだと思います。

最近また「逃げ」という言葉を目にして、なぜ自分は殺すぞ、という言葉が浮かぶくらい気になってしまうのか考えていました。最近見つけた答えが、「自分は今まで逃げることで生きながらえてきたので、それを取られてしまうと死ぬしかなくなるから」というものです。

自分が死にたくなった時、精神に力が入らなくなった時に、全体重を預けてなんとか死なないでギリとどまっていられる、そのためのつっかえ棒を蹴られるような気持ちかもしれません。自分が避難できる、最後に残された部屋を取り壊されるような気持ちかもしれません。

最後の、と書きましたが、昔の僕はほとんどそれしか選択肢をもっていませんでした。25くらいまでは。生まれてからずっと、辛いことがあったときは両親にもきょうだいにも誰にも話さずにひたすら漫画を読んで、ゲームをして、ネットサーフィンをして、マスターベーションをして時間を過ごしました。つまり逃げの世界に入ることです。

最近覚えたのは、他には、「コーヒーを飲んだら眠気が飛ぶ」、「単純作業をすると頭の中が整理されやすい」、などの生理的反射を用いたテクニックと、いきなり知り合いに連絡してクソみたいな言動をしまくる遊びをして甘えまくるという二つです。だから今でも自分には、逃げる、甘える、テクニック、この三つの選択肢しかありません。選択する、相談する、情報収集する、などの選択肢はまだ上手くとることができません。

周りの人たちと切磋琢磨しあったり、頼り頼られたり、慰められたり、共感を得たり、そうやって人を頼ったり信じたりする気持ちを得ながら成長してきたかったのですが、できなかったな、という思いがあります。

 

かなり文字数を使って脱線してしまいましたが、自分は辛いことがあった時に逃げという選択肢を取ってなんとか生きながらえてきたため、「逃げ」をとても大事に思っています。だから、逃げを否定されたら生きていけないのです。「逃げるな」という言葉を見ると「殺すぞ」という言葉がわいてくるのは、人生で実感してきたその感覚を否定されたような気がするからかもしれない、というのと、

逃げというものを否定される=俺が生き延びるための呼吸器のようなものに触れてどうこうしようとしてくるなら俺を守るためにお前を殺すしかなくなる、という感覚があるのかと思いました。

この文章を読んだ人は「なんだこいつ、勝手なやつだな」ってなると思います。僕が読んだら「なんだこいつ」って思うと思います。

でも僕はこれを人間関係において押し通そうと思います!!!とか、こういう事があったから逃げを否定する人が嫌いだ!!!っていうのが結論じゃなくて、これを掘って言葉にして解決したいという事ですね。

いじめにしても、過去の黒歴史にしても、嫌なワードを聞いたりするにしても、もやっとしたものだけがわいてきてやーな感じになるよりかは、それを言葉にしちゃえば、言葉で人に相談したり、本のタイトルで探したり、人の言葉に反応してそれを参考にしたり出来るわけじゃないですか。そうやって解決方を見つけたりできるかもしれないじゃないですか。

そういう感じですね。(うやむや)