自己表現ってやつ

自分は人生で何か感動したときに、「これ〇〇に似てる」ということを思い浮かべます。リアルでも、なにか作品を見た時でもです。

たぶんそれは、他人に感想を伝える必要がなかったからだと思います。自分の中で「〇〇みたいなやつ」っていう言葉は、本当は「その作品そのものと同じ、その作品に似ている」ってことを言いたいんではなくて、自分の中で、「〇〇っていう作品を見たときにも自分が感じた”何か”を、この作品を見たときにも感じている」っていう事です。例えば、〇〇にも感じていた”清涼感 ”とか。〇〇にも感じていた”おしゃれな感じ”とか。”エロい感じ”とか。”暗い感じ”とか。

その”何か”を、言葉に整理できていない状態という事だと思います。

 

たぶん自分の感性に価値を感じていないのかもしれません。正確に言うと、自分の感性は好きなんですけど、その感性のままに言っても、その「かっこいいと思いました」とか、「清涼感を感じました」っていうのは”相手にとって”価値が無いのでは、と思ってしまうんだと思います。(ほかの人もそう、というわけではなくて、自分の感想に対してだけです。自分の素のままの感想は相手にとって価値がないから、はなにかヒネらなくては、とかそういう事を思ってしまいます。)

また、価値がないだけではなく、感想を率直に言っても、変なことを言ってしまうのではないかとか、傷つけてしまうのではないかとか、怒らせてしまうのではないかとか、呆れられてしまうのではないかとか、そういう恐れもあります。

まず第一に、相手の作品に対してこちらから絡んでいって感想を言う、という、結構厚かましいことをしているのに、自分は絶対に失言をせずに悪い人に思われたくないという卑怯さ。

そして、○○みたいですね!っていう言葉の裏には、自分の本当の言葉をそのまま外に出さないで別の作品を矢面に出す、という、そういう汚さがあります。

めちゃくちゃです。プラスの感情を得て、しかもそれは相手と自分の間にある距離を人っとびにさせてしまうくらいエネルギーをくれています。それでも、自分の中身をさらけ出すことだけは臆病なんです。だって、○○みたいって言っておけば、否定されても大丈夫だからです。

自分の素の、本当に心からの感想の「かっこいいですね!」っていう感想が、「いや違います」とか言われてしまったら、それはとてもショックだと思います。

心からの感想って言うのは、心からのものですから、根拠が心です。すごい。かっこいい。

○○みたいで っていうのは、根拠は別の作品です。自分の素の心じゃありません。違うって言われても、自分自身がの気持ちの感想が傷つくわけではありません。

でも、これだと、引き合いに出した作品のもつイメージが相手にちゃんと伝わるかというのがよく分かりません、作品にはいくつかイメージがあって、例えばデトロイトメタルシティみたいですね!って言ったら、それを読んでない相手には「汚くて傍若無人にふるまっているみたいな作品って事?」て取られるかもしれません。だから、「〇〇に似てますね!」っていうのは自分はやめたいと思っています。

 

話がつながっているか怪しいですが、まとめると

作品に対して「別作品に似ている」と言う事はしない。ただの比較になって、何も伝わらない可能性が高いから。

別作品に似ていると思ったなら、それとの共通点を言葉にして、感想として言う。

AとBの作品の共通点が「自分の中の二つめの人格と同付き合うのか、呑まれないようにするのか」だったとしたら、それを言っていけるようになろうと思います。結構時間とかかかると思いますが。

・ほかの人の感想も読む。ピースが増えて解釈が補強されるかもしれない。

・感想の語彙を増やす。凄かった、興奮した、怖かった、ドキドキした、など

これをやってみようと思います。