青木真也さんと呂布カルマさんの対談と「日本は良くなりますか?」について

青木真也さんと呂布カルマさんが対談して、自分にとっての格闘技観、HIPHOP観について話し合いました。

それぞれ違う人生、ジャンルでも同じところがあったり、違いがあったりして通じるところも見れて面白かったですね。

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最後にスタッフの方から「HIPHOPや格闘技の価値観が広まったら日本は良くなりますか?」という質問がありました。

僕は「良くなるか悪くなるかではなくて、もっと活発になるのかな」と思いました。

そもそも「良くなる」っていうのは「何を良いとするか」の定義によって変わってきて、

それは「自殺数は少ないほうがいい」などの、「良いとされる価値観」、「社会の共通認識」「同じ価値観」が必要だからです。

同じ価値観があって、そこに人々がちょっと近づくという事です。

それは僕の持っているHIPHOPの価値観のイメージとはちょっと違います。

 

まだ良いとか悪いとかの価値観がない世界です。いろんな人々がそれぞれ点在しています。

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端っこも、真ん中も、良いか悪いかは分かりません。判断がつきません。上が悪いのか?下が良いのか?それが示されていないからです。定義されていないって事ですね。

 

 

「自殺は悪いことで、そうならないようにしよう!という価値観」が社会に浸透するとこうなります。

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良いことと悪い事が定義されて、良い事に近い人は良い状態、悪い事に近い人は悪い状態だと分かりましたし、自殺が悪い事がみんなに浸透して、みんなが自殺から遠ざかって、良い状態になりましたね。

 


僕がHIPHOPに感じていることとしては、「自分がどう生きたいか」とか、「自分が一番上に置く価値観」を決められるんだな という感覚で、

HIPHOPの価値観が広まったら「「自殺は悪である」という価値観すらも、「自分にとっては違う」」となる人がたくさん生まれる可能性があるという事です。

 

HIPHOP的な考え方が広まると、みんなが一つの価値観に向かう事は無いのではないでしょうか。だっておんなじ体や経験や状況の人は一人もいないので。似ている人はいますが。

 

こういう感じになると思います。社会全体に通じる一つの「良い」価値観はありません。

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それぞれがそれぞれの「良い」を持っていて、自分の良いにしたがって色んな方向に動きます。

それぞれ好きに動けるので、関係ない人とは関わらなくていいし、自分の生きたいように生きられるので活発に生きられると思います。

ただし衝突も起きると思います。軟弱な僕だと生きてけないかもしれないですね。

他者と衝突したときは意見を交わしたりして、考え方が変わったり、変わらなかったり、「まあオマエはオマエなんだね」ってなったりすると思います。もっと元気で、ディベート的で、弱肉強食的でもあります。自立って感じですね。

 

僕が格闘技を見たりラップを聞いたりするのは、こういう強さとか個とか我を手に入れたい、自分の中に取り入れたい、という気持ちが確実にありますね。そういう感じの話でした。