傷を乗り越えるってやつ

自分はテレビ映画ネット漫画アニメ小説エッセイゲームが好きです。とりわけ漫画が好きです。一人で好きなスピードで読めるし、絵があって分かりやすいし、セリフも熱い。

漫画で一時的に心を癒したり、具体的な知見を得たり、キャラクターの精神を得たりしてきました。そしてそれらは現実でも役に立ったと思います。自分の使う言葉はリアルの人間よりもそういったコンテンツで覚えた物の方が多いかも知れません。

両親にはある理由から相談しづらさを感じています。きょうだいもです。だから、一人で出来る事、とりわけ漫画の中から答えを得ようとしてきました。

 

そして最近、また傷つく事があり、漫画を参考にしました。

やがて君になる」という漫画です。実際に自分が体験したときに、主人公達がとっさに行動してしまいます。そしてそのあと、あの時湧いた感情が何だったのかを突き詰めて、あの時とった行動が何だったのかを考えます。そして、何か分からなかったものを言葉にして理解していきます。

 

漫画家の森恒二先生は「癒しという言葉が溢れている。誰もが癒されたがっている。だが本当の傷はそんなものでは癒されない。本当の傷は乗り越えた時に自分の力になってくれて、それらは決して君を裏切らないだろう。」って事を書いていた。だから、自分の傷は無くならないけど、乗り越えればいいんだ、と思ったし、乗り越えたいと思う。じゃあ、傷がどんなものか把握する。裂傷なのか、創傷なのか、骨折なのか、関節炎なのか。言葉で理解する。

 

まず、傷には名前をつける事で扱えるようになる、そうじゃないですか? もしも、口内炎が出来たけれど口内炎という言葉がない世界だったら…

何かの病気なのではないかと思うが誰にも分からない、とにかく痛い、口の中に変なものが出来て…盛り上がっているようでもあり、へこんでいるようでもある。そのまま放っておくかいじってしまうかして、適切な治療が出来ないでしょう。そして、さらに悪いことに口内炎になったのが自分一人だった場合。自分だけが、この何かよく分からない、不気味な何かにかかっている。ただの痛みが、得体の知れない恐れに変わると思う。

フローチャート形式で問題を洗い出す。家族と同じ物を食べている。じゃあ悪い物を食べたのが原因ではないな。同僚と同じ時間に起きている。同じ仕事をし、同じような服を着ーーじゃあ違うのは、生まれ持ったこの体ーーつまり、この自分の何かが原因だから。ーーでも、何が?

その傷に“口内炎”っていう名前をつける事で、それは世界中に認知されます。口内炎ってものがあるんだ。研究され始め、口内炎に悩む人たちが観察した事実を蓄積していく。解決方法は。口内炎が出来やすい人のデータを取る。逆に、出来ない人は。

翻訳され、他の言葉を持つ人たちにも広まっていきます。そして自分もやがて、世界中に“口内炎”で苦しんでいる人が、苦しんでいたが治った人たちがいる事を知れます。口内炎って名付ければ、それをどう扱うか、頭の中で扱えるようになると思います。素晴らしいです。

 

人は本当に話したくない傷や書きたくない過去の話題に触れるとき、他のもので例えたり、その例えが長くなってやたら饒舌になったりします。自然の事です。

何かの番組では、「素人が4択問題を作る時は3番目か4番目に答えを置いてしまう、なぜなら1番目と2番目で隠したくなるから。」とも言っていました。そういう心理が働くものだと。

だからまあ、こうやって口内炎で例えたり、4択問題を引き合いに出すっていうのは、自分が過去の傷に触れようとしている時に出る反射が出ているって事です。そうじゃないですか?逆に、過去の傷に触れようともしなければ、この例えも理屈も出てくる必要がないんです。

そしてこの例えと理屈を撃ちつくしてしまった時に、もうそれを書くしかなくなるな、もう変わり身の術のための丸太が尽きた、と思いました。1番目と2番目の選択肢が違うと分かって、じゃあ核心の3番目と4番目の選択肢を吟味しようというやつです。

 

こんなに保険をかけておいた割には超メジャーなのですが、僕は高校生の頃いじめにあっていました。それを乗り越えたいと思います。

引っ張っておいたのに超メジャー。世界中で起きている。本でよく見るよ。漫画映画小説歌。対策も分かっている。大人に言えばいい。はっきり言えばいい。おそらく理論的にもどうしていじめが起こるかが解明されていて、それは集団心理とか、もともと人間の脳にインプットされている何かのおかげでいじたくなる何かが生まれるということも想像できる。でも乗り越えられてない。なぜか。というか、言葉にはっきりとする事で、少なくとも扱えるようになるのではないか。

 

そういう事を考えていました。そして、3月20日から3月21日にかけての夜、自分がいじめられているその瞬間を夢に見ました。

夢の中で現実と違ったのは俺が泣いていた事でした。そして泣いたあとには、いじめている三人に対して反抗心というか、何か言い返してやろう的な気持ちが湧いて来ました。

それがどういう事か考えた時に、俺はいい傾向だと思いました。

高校生の時に何も言うことができず、しかし泣くのも嫌だったので感情をOFFにしてただただ時間が過ぎるのを待って「はい」(同級生にも敬語なのかよ)「はい」と言っていました。

つまり心を殺してきました。無になってきました。

だから、最近考えている、感情を言葉にするとか、感じた事を言葉にする、の感じるの部分が再生してきたっていう事じゃないかと思います。

しかも、自分の過去のトラウマの世界の中でです。

過去は変えられません。しかし、僕は過去の“出来事そのもの”ではなく、“過去の思い出”、僕の“心の傷”に苦しんでいるんです。“また”…とか、“もう”……とかいう事です。

だから、あの時そのものではなく、あの時の事を思い出した時に、一緒に悔しい気持ちとか、みじめな気持ちとか、心を無にする感覚が思い出される事です。(こういった感情を言葉にするという事です。)

今思ったのですがもしかしたら心の傷は傷みたいな形をしてるんじゃなく、アニメとかゲームに出てくる、迷宮みたいなものかも知れません。

 

そしてその思い出、トラウマ袋、迷宮を夢に召喚して、眠っているっていう無防備で無意識の状態でそれに何か変化、進展があったっていうのは、これはかなり前に進んでいるんじゃないでしょうか?少し夢を見るのが楽しくなってきた気さえします。次に僕がどれだけ進んだのか。

明るく捉えたいので明るい感じの言葉を使います。

 

そういう事を考えました。