ツイッターの使い方の話
ツイッターを見ている時間が長すぎてやばいです。1日に3時間以上は確実にツイッターを見ています。
そして、ツイッター上での人の目が気になりすぎでやばいです。どんな風に文章を書くか。頭の中にあるものを、どの言葉を使ったら人を傷つけずに出せるか。どの言葉を使ったら怒られずに済むか。ツイートによって、フォローを外されないだろうかと不安になる。フォローを外した人がそのあと何か言ってないか。特に、何回か親しく話した人にそれをされたらと思うととても辛い気持ちになると思います。どうでも良い人ならどうでもいいのですが。
仲良くなったと思った人、良い人だと思った人と仲が悪くなるのは本当につらいし、気になる。
みたいな事を考えて、言葉を選んで消したり書いたりして最終的にツイートボタンを押したり下書きに残したり下書きを消したりしています。
でも自分はフォローを外す時に何かを深く考えている訳ではありません。この人は面白い。この人も面白い。自分がこれを見ていたら時間を使ってしまいそうだな。自分が充実するためにツイッターを始めたんだからこれは良くないと考える。そこで、面白い人をランダムにフォロー外す、とかいうことをします。10年前とかは信じられなかったのですが、本当にそうします。
なんだか寂しかったから、自分がめちゃくちゃ面白いと思ったから人のツイートをリツイートして空リプ、とかもします。ただ単にその時になんかを言いたい欲が高まったから、題材にして何か書いた、とかもあります。(直接リプライは基本的にしません。)
だから、本当はフォロー外されたとかなんか言われたとかは、脈絡とか考えなくていいんですね。他の人の方が優れているから、だから他人は僕のように感情に支配されて変な行動をしたりしないものだ、という感覚があるのかもしれません。
あくまで自分が好きで、見ている人はそれを見にきているだけだ、だから何も言わないでくれ。汚えと思われてもともと。という原点に立ち返れば、もう少し狭い、原色の、汚い、濃い事を言っていいのではないかと思います。ハードコアなシコネタとか。
だから僕は「いいね」をされると怖いのかと今思いつきました。自分は汚く、ショボく、そのルサンチマン で変なものを作ります。理解されないというシールドみたいなものがあって、肯定されないもの。でも、いいねって肯定されると、それが光を当てられる。汚いと思っていた自分が明るみに出て、晒されたような(すでに全世界に晒しているのに変ですが)気分になるのかもしれません。
それとも、いいと思ったものを否定された時に感じる、なにかムッとするような感覚でしょうか。「俺はこれを汚いと思ってます!!」というものを「綺麗だね」って言われたようなモヤっとした、ズレを味わった気分になるのでしょうか。分かりません。単純に人に見られているというプレッシャーなのかもしれません。
自分はツイッターになにを求めてるかというと「別に深く考えてないよそんなん 暇だから見てるだけ」ですが、
究極的に考えた時に、『少なくとも部屋の景色【じゃないもの】を見るために見ている』と考えました。
『【自分にない】凄いものを持ってる人を見にいっている』
『共感できるもの=【他の人】が自分と同じ事を言ってるさま』を見にいっている
『イベントの情報収集=【まだ自分の中にない情報】の収集をしている』
これプラス、好ましいと思ったものを僕は見るのではないか。
ズレているけどそれが好ましい時、憧れとか、好きとか、凄いとか、そういう感情を生むのでは、と思いました。
そういう事を考えました。だから、俺がズレていても当たり前だと思います。結局は最初の通り、インターネットで検索するっていうのは能動的なものなんだから、いやなら見にこないでほしい、俺からも絡みにいかないから。という事です。
だから、人から送られるメッセージにそんなに一喜一憂しなくてもいいんじゃないかと思いたいです。
いや、喜だけして、憂はしたくないなと思います。
追記 だからなんだというと、ぶっ飛んで性癖を出してる人に憧れてるので、僕ももっとぶっ飛んで性癖を出す ってのをやってみようと思います。