毎日絵を描けるようになりたい、ヒントはヒップホッパー

僕は絵を描くのが結構好きです。中学生くらいの頃から意識し始め、半年に一回とかブームが来ては絵を描き、高校の頃は3ヶ月に一回とかはブームが来ては描き、大学の頃はもう少しなんとか良くなっていきたいという気持ちが芽生えて、なんと人にも見せるようにもなりました。今では絵を描く頻度が上がり、ほとんど1日に一つは絵を描いて、見せられるなと思ったものはツイッターにもちょくちょく上げています。メディア欄の日付を見ると、1週間に一枚は上げている事にびっくりしました。

僕は楽しんで描けるようになりたいです。それか、何も考えずとも描けるようになりたいです。絵が趣味、絵を描く時はずっと楽しいと思えるようになりたいです。そんな瞬間はほとんど来ません。集中して書き始めて40分とか経った時です。腰が痛いです。そして、今は何だか絵を描くのが義務みたいになって、何も描かなかった日は罪悪感のようなものが募ります。趣味として始めたのに、意味がわからないです。たしかに上手くもなりたい。でも、一人で参考書を買ってテクニックの習得に挑む気力は無い。怖い。一か月8.000円でに4回通える絵画教室は楽しかったな。でも今はお金はかけられません。そもそもお金をかけなくても始められる趣味として絵が選択肢にあったのですから。早く転職を決めなければ。プロなんてならなくていいよ。もし100円でも、絵で金が稼げたら楽しくなるかな。いやならないかな。だって楽しめていない状態でお金を貰ってもプレッシャーが増えるだけだ。

 

暗い話になりました。

ただ、毎日やらない事に罪悪感、というのが少し、いやかなり進んでると気づきました。このモヤモヤを何と表現するか。罪悪感ではなく、「やらずにはいられない」「やらないと気持ち悪い」と言いたいと思います。どんなジャンルにしろ、プロとはそういう人間がなるものだそうです。かなりの希望が見えてきました。イメージしやすくすると、サッカー選手は練習しない日があるとモヤモヤする。ボールを触りたい。生まれついてのラッパーの人は思った事をラップにして音に乗せてすぐ歌ってしまう、みたいな。(ラッパー の方は本当はそうではないにしろ、です。僕のこの絵のモヤモヤをプラスイメージにする為にの例え話です。)

 

一個前の投稿で『人に責任を負わせるのは卑怯』と書きましたが、DJの世界大会のバトル部門で世界一になったDJ松永さんの言葉を。「金になるかならないかで考えない奴がプロになる」

いい言葉です。僕はプロになりたいんじゃなくて、胸を張って楽しみたいんですけれども。

 

そして!!思い出しました。DJ松永さんの相方、ラッパーのR-指定さんです。ラジオでこう言っていました。

「ラッパー として感じた事を歌詞にして、成功して、お金が入ったら、いろんな事を許せてしまうようになる。そしてふつうは歌詞に書くことがなくなってくる。フックもシンプルで短いものになっていく。なのにエミネムは若い頃よりももっと濃密で長い歌詞を書いていってる。ずっと何かに怒っている。凄い」と。

感情が動かないと何か描きたいものがないのは当然だよな、と思います。活力みなぎって仕事をして、感情を動かして、読みたくないと思っても作品を読む。何か新しい事に出会うようにしている、何かと競っている、そんな時間が何か描きたいものを生む元になるのではないでしょうか。

お二人がやっているのは、ヒップホップユニットとしてロックフェスに出る事。テレビ番組に出る事。そして、ヒップホップ の事を何も知らない、いや知ってる気で「ヒップホップ 笑」っていう笑いを浮かべる人たちに何とか説明して、やってみせて、ヒップホップ の良さを、カッコよさを知ってもらう事。

その為に言葉で説明する。考える。語彙を増やす。ラップを披露する。集中する。DJプレイを見せる。技を磨く。

僕の「絵を描きたいから、絵を描いてる人になりたいから」という漠然とした理由とは違います。

それは必然的なものではないでしょうか。ヒップホップを日本中に広めたい、日本中でヒップホップが通じるように、伝えるために、ヒップホップを磨く。至極真当な理由です。そして、伝えるために苦しみが生まれ、伝わった時に感動が生まれ、伝わらなかった時に挫折が生まれ、それらを伝えようとする時に、それが作品になる。

僕はどうでしょうか?現実の仕事をあまり頑張っているとは言えません。そして、今は絵だけが誇れるものですから、絵を褒められればめちゃくちゃ嬉しいですし、突っ込まれればめちゃくちゃ落ち込むでしょう。重心のかけ方が下手です。そんな心の動きに疲れを感じて、あまり自分を出せないのかもしれません。

やはり怖いからでしょうか。僕にとっての絵は、人に見せたいものでありながら、真綿に包んで育ててきた僕の弱い部分でもあります。だから、プロとして、道具として絵を“使い”たいとも思います。料理人が包丁を使うように。でも難しいでしょう。だって、今は「これをやれ」という物が無いんですから。どうしても道具のようには扱えません。

やはり、絵以外に趣味ややりがいを見つける事がいいと思いました。ロックフェスとまではいかなくても、新しい刺激。大事な物だけど、僕自身の全てではない。道具ではないけれど、少し距離を置ける。

プロの方も、お金を貰ったり、仕事関係の人にモチベを貰ったりすると思いますが、それ以上にこういった刺激を入れる事を頑張っているのではないでしょうか?遊びも全力でとはそういうことでは。

このブログもその一つとして始めた部分があります。モヤモヤしたものは全部絵で出さなければいけないという、そんな事はないという、重心の分散です。

なので、いやでも本を読もうと思います。読みやすいものを。オードリー若林さんの本が読みやすかったので、それを買います。ナナメの夕暮れを。あとあれも欲しいな。Rの異常な愛情も。